9月中旬から何でこうなっちゃったのかをつらつらと書き連ねてみます。
まあ長いので自分へのメモとして書いたので読み飛ばしてください。
ちょっと前に書きましたが、持病の悪化で非常に体調が悪いです。その原因がおぼろげながらわかってきました。
まだ元気だった9月上旬。9月10日にはイオンモール店内を2時間くらい散歩したりして。9月11日は病院で持病の精密検査。9月14日には近所の鼻高展望花の丘へコスモスの写真を3時間くらい撮影していました。
で、9月15日の病院での検査結果で持病の悪化が判明しました。そして翌日9月16日から寝込んでしまった。
でも頑張って9月17日には難病申請のために保健所と病院を往復しました。シルバーウィークはぐったりと寝込む。手持ちの測定器での血中酸素飽和度の数値も非常に悪いです。
9月24日の朝に病院に電話。看護師さんに数値を伝えると「それって死んじゃいますよ」と言われ、病院に行くことに。ご家族に送ってもらってくださいと言われましたが家族は仕事なので自分で車を運転していきました。これで本気で死んじゃうよとさらに怒られます。
今まで入ったことが無い中央検査室に運び込まれる。ここからは車いすに乗せられる。主治医が対応してくれて、看護師さんではやれない血ガスの採取。ベッドの上で脚の付け根の血管に恥骨の脇からぶっとい注射器で陰毛をかき分けて採血。これやるのは3度目だがいつも辛い。しかもパンツを恥骨までずらすのでアレの先端が何度もこんにちはしてしまい美しい女医さんに見られて恥ずかしい。私そこに脂肪がたっぷり付いていてなかなかうまく採血できない、時間が掛かって固まってしまう。左右4回採血してやっと採れた。CTも今月2回目。院内を車いすを押してもらう。
入院を覚悟しましたが、以前入院した時よりも悪くないので様子を見ることに。でも何が起こるかわからないので、リカバリー装置を装着しないと自分で運転はNGになる。その装置を業者が持ってくるので院内で待機。院内のローソンに車いすを押してもらってパンを買う。中央検査室でお昼ご飯を食べました。
結果、携帯タイプの装置を装着して帰宅。業者さんも自宅に来て据え置きタイプの装置も設置される。
その装置がこれ。

入院後に使ったことがありますが、これはさらにデカイ。重くて持ち上がらない。けど以前のは音が凄くてポータブル発電機みたいな音がしたけどこれは静音でよかった。
これはレンタル料が月に2万5千円ほどかかる3割負担で。前借りた時は1年くらいで返してしまった。難病申請が通ればお安くなるらしい。今回検査費も3万円ほどかかったしとにかくお金が掛かるよ。
で先日2倍になった薬もそこからさらに3倍になった。この薬の経口投与の上限値。これが効いてきて安静にしていればかなり良くなりました。副作用が酷いので徐々に減らしていくのですが、もうこれであまり減らされないでしょう。難病申請が通れば進行を遅らせるという月50万円の新薬が投入されます。
というのがここ数日の流れです。
そしてこの病気のここまでの経過です。
私の持病は6年ほど前に人間ドックにて発覚。その2年前から数値が悪かったけどほったらかしてきて、いよいよCT撮ったら見つかった。
担当医から「この病気は原因もわからず治せません、治す薬もありません。あなたは70歳まで生きられないでしょう」という、当時57歳にて長いスパンの余命宣告を頂きます。そのドックの病院では治療できず咳止めと胃腸薬をもらうだけで2年が過ぎる。
60歳直前の春に転勤直後の激務から急速に症状が悪化。これを「急性増悪」といいます。担当医から市内の総合病院へ紹介状を渡され転院、そのまま入院へ。
かなり危ない状態で、点滴で薬を大量にぶち込みました。3週間入院して退院しました。職場は自分一人の業務だったので迷惑を掛けたくないので入院中に代わりの人員をお願いしたのだが、そのためには私が退職する必要があるという。今思えばそれって法律的にはアウトだと思うが、その時は職場に迷惑を掛けたくないので退職することにした。
人事部としてもその経緯に思うことがあったのか、1年間一部給与のもらえる休職扱いにしてもらえた。で1年後に退職。ここまでの長年の労を評価して頂けて、本来は自己都合退職で退職金が減額されるところ早期勧奨退職扱いにしてもらえて退職金を大盛りにしてもらえた。ありがたかった。
で、退職後はマイペースで生きてきました。セルフリハビリしながら徐々に歩ける距離を伸ばしていきました。
退院1年半にて、薬の減量も終了し投薬完了。総合病院から元のドックの担当医に戻りました。しかしそれが悪かった、半月で症状が悪化。急性増悪となりました。総合病院に戻され、また入院かと思われたが数値が入院時より良かったので帰宅。また最初から投薬やり直し。
それから2年が経ち今回が3度目の急性増悪です。こう繰り返しながら症状が進行していくのです。現在もこの2年目の状態に似ていたのでそれを主治医に伝えて治療が進みました。また薬の量も元に戻ったし。
ただ、先日の精密検査で持病のステージが一つ上がってしまった。その時のショックも増悪に繋がったのでしょう。
こうなると平均生存期間は3~5年、5年生存率は20~45%です。今までだと5年生存率が70~90%だったので深刻です。このステージで急性増悪を起こせば平均生存期間は2か月で死亡率は50%となってしまう。
もう70歳まで生きようなんて言ってられません。
ただ安静にしていれば普通の人と変わらないので、妻もこんなに余命が短いなんて感じていないようですね。
新薬を投入して少しでも長生きしようと思いますが、あと残り2~3年と思って毎日を大切に生きようと思っています。
それから例の頸椎椎間板ヘルニアですが、この騒ぎでリハビリをキャンセルしました。もう痛くないし左手は痺れていますが、もうそれも気にならないのが今の状況ですから。
で、今回の不調はどうも、9月14日の写真撮影だった気がします。急に暑くなったあの日炎天下で3時間撮影した。顔と腕をえらく日焼けして疲れてしまった。免疫がぐったり落ちたのでしょう。
今の趣味は写真撮影がメインなので、命を削って撮影するのでしょう。今後このブログで写真を掲載するなら、それは命を削って撮った写真です。命がけの写真をお楽しみくださいw。写真はほぼインスタの方に掲載しますけどね。
病気でもお酒はちびちび飲んでいます。先日近所のスーパーで買った日本酒。以前これを記事にしましたけど、またこんな値段で売っていた。

あの銘酒が賞味期限古いとはいえこの値段とは。30年ほど前には1万円とかのプレ値で売っていたのに。今でいう十四代みたいなものでした。
これが時の流れだと思うのです。あの当時はまだ品質の悪い日本酒が流通していて飲み辛かった。その時にこれは「水の様に飲みやすい」ということで評価されていました。綺麗だったのです。
それが今は時代が変わって、その端麗辛口から今は芳醇旨口が評価されています。旨味がある酒です。それでいて綺麗なのです。そしてシュワっと発泡して甘い香味の生酒へとブームが来ています。
この銘酒も十分まだおいしいです。特にこの普通酒はうまみがあってお燗するととてもいけます。なので安くなったらお得なのです。
私も時代の流れから取り残されていますが、まだまだやり切れていないので、できる限り頑張ります。
少しインドアの趣味も増やそうと、ギターを再開しました。もうあまり弾けませんが、こんなのをやっています。

今まで使ってこなかったコードで響を感じたいのです。誰に聴かせるわけでもないですけどね。
これからも写真は歩ける限り続けます。もうほとんど歩けませんが。また動けるかもしれないし。
命を削るかもしれないけど、命がある限り写真を撮って行こうと思っています。